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今、何故、アスペンか 小林陽太郎

2020年02月06日アスペンセミナー

 リベラルアーツ(古典・芸術などの教養)の重要性が再認識されていますが、私たち企業人、あるいは一市民が古今東西の賢人から学ぶには、「古典を学ぶ」だけでなく、「古典に学ぶ」という姿勢が大事です。用語の意味、文章の解釈といった学校で学んできたことは、著作を正しく理解するうえでもちろん重要です。しかし、それに加えて、古典が私たちに問いかけていること、その問いを発した賢人の世界認識や問題意識、その問いが現代社会で持つ意味について、個々人が自分の頭で考え抜く姿勢、さらにはその考えを他者に投げ掛け、また他者の考えを受け取ろうとする意志が、よく生きるうえで、また、よい組織、よい社会をつくっていくリーダーシップに不可欠ではないでしょうか。

 このコラムでは、日本アスペン研究所が行ってきた活動のなかから、ご参考になりそうな文章・講話などをご紹介していきます。
 最初にご紹介するのは、小林陽太郎氏の「今、何故、アスペンか」です。

 1998年2月。4月の日本アスペン研究所設立の前に、初島で日本で初めてのエグゼクティブ・セミナーがトライアルとして実施されました。富士ゼロックスの元会長で、日本アスペン研究所設立の中心人物として日本アスペン研究所の初代会長を務めた小林陽太郎氏は、セミナーの意義を「今、何故、アスペンか」という文にしたため、参加者に配布しました。
 この文は、現在も、エグゼクティブ・セミナーとヤング・エグゼクティブ・セミナーのテキストの冒頭に収められています。
 以下、その全文を掲載します。

「今、何故、アスペンか」          小林陽太郎(1998年)

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 第二次世界大戦が終わって五十年を超えた。あと三年で新しい世紀を迎える。二十世紀最後の十年に入ってから、世界的に世の中の動きが激しくなってきた。冷戦の終結、ソ連邦の崩壊、EU大団結の進展、第二次パックス・アメリカーナを思わせる米国の大活性化。そして、それとは対照的に、日本の政治、経済の再編、バブル崩壊後の再構築のつもりで始めた多種の再建策、新構想はほとんど実を結ぶことのないまま、混迷と不安、自信喪失と相互不信の真っ只中にいる。日本を目標に追いつけ、追い越せと走ってきた東アジアの諸国も、ここへ来て急激に日本同様の綻びを見せはじめている。
 人間が営む社会の中での政治であり、経済活動である以上、政策の失敗や、政争、失政、あるいはスキャンダルの発生はどこの国にも見られよう。その中で、わが日本における最近四半世紀の動きは、先進諸国のなかでは突出して安定性を欠き、バブル化の程度や、各種スキャンダルの頻度や、それに足をさらわれる指導者の数や企業の数は他を圧している感がある。ロッキード、リクルート、金融、証券利益供与スキャンダル、五十五年体制崩壊後の政党の離合集散。頻繁な政権交代。その間を怪しく彩る異常犯罪の数々。それが世紀末さ、時代の変わり目とはそんなものさ、といえばそれまでだが、単に時間の経過とともに解消し去る種類の現象とは私には思えない。もっと根の深い、日本人の精神的拠りどころに通底する脆弱さに起因する事象として捉えねば、先の光明は見えてこないと考える。

 「一度アスペン研究所を訪ねたら?その上で、まだアメリカの企業人が短期利益にのみ関心のある人種と思うのなら、もう一度じっくり話をしよう」。これは、一九七〇年頃、当時米国ゼロックス社のCEOだったウィルソン会長が、米国企業の経営姿勢を「短期利益指向」と批判した私に向って言った言葉で、アスペンと私のキッカケはここから始まる。
 しかし、実際に私が妻を伴ってアスペンに行ったのは一九七七年で、残念ながらウィルソン氏は数年前に亡くなっていたため、前述の氏の問いかけに直接答えることはできなかった。もしその機会があったとしたら、「ウィルソンさん、私の負けです。私の眼に見えていた米国の企業人像は、ほんの一部、戦後たかだか五年で、米国の人々が『近代社会』における瑣末化の危険に気付き、古典と現代の社会現象の反芻のなかで、思索を重ねていたとは知らなかった。短期思考はむしろ日本人であり、日本の企業人でした」と間違いなく言っていたに違いない。それほど、十日間のアスペン体験はインパクトが大きく、文字通り「目から鱗が落ちる」思いをいっぱいに帰国した。
 この「瑣末化の危険」については、ここに収録してあるロバート・ハッチンスのゲーテ生誕二〇〇年祭におけるスピーチを是非参照していただきたい。彼の見た、今から五十年前の米国の危機が、そのまま今日の日本の危機にピッタリと思う人も少なくないはずである。

 米国においては、アスペン研究所が、今流にいえば生涯教育の最高峰的あり方を示しているが、社会に出た専門家達が、専門性を深めつつも、個々の専門領域に閉じこもったり、堕することのないよう、「古典」を媒介にした高度の知的交流の「場」として、戦後いち早く、それこそ民間主導でスタートした。一方で、古典やラテン語学習などを柱とするリベラル・アーツを得意分野とする大学も隆盛を極めている。片や、日本の場合、戦後の圧倒的米国指向は、科学技術、経営技術等の専門分野の先端を行くものとして、米国をベンチマークし、多くの人材を派遣、その技術を採用、改良改善をして、日本経済、日本企業の経営の強みを短期につくり出すことに成功した。成功はしたが、専らそれは「技術的」領域においてであった。教育面を見れば、六・三・三・四制を含め、これまた米国の影響を大きく受け、そのメリットは、もちろん大きなものがあった。ただ、その中で戦後特徴的に欠落したのが、旧制高等学校に見られたリベラル・アーツ教育で、「技術優先」の世の流れと、「即戦力」を求める企業の強い姿勢の中で、日本的瑣末化と専門化はとどまるところを知らぬごとく進むことになる。何のためか、誰のためか、人間的節度とは、等の問いかけはあっても、少数派の単なるツブヤキにとどまり、社会をあげて流れに身をまかせたのであった。

 ここ数年、高等教育における教養課程の再評価と強化の必要性が強く叫ばれるようになった。多分それは前記過去四半世紀の異常現象が起き始めたころからの、前記少数派を含む少なからぬ人々の「これではイカン」という意識や反省、その後の各界関係者の社会的危機に対する認識の高まりの結果に違いない。が、それにしても、あらためて過度の専門化のもたらす危険についての日米の意識のギャップ、その是正についてのアプローチの速度の差異の大きさを痛感する。その点については、少なく見積っても二十年の差をつけられたといってもよく、冒頭に述べた欧米の活性化が八十年代早々に芽を吹き出したこと、日本の場合は来世紀を目前にして依然将来の見通しを立て切れずにいることを考えると、この辺の差が如実にあらわれたといってよいだろう。今、何故、日本にアスペンか。その理由は、「だから」なのだ。

 さて、「目から鱗が落ちた」思いをアスペンでした日本人は私だけではない。同じ夏、同じく参加しておられた椎名武雄さんをはじめアスペンに触れた多くの人々が、日本にも、いや日本にこそ「アスペン」を、と考えられて、十余年程前からいくつかのプログラムが開始された。日本IBMの天城セミナー、セゾングループの八ヶ岳セミナー、モービル石油のペガサス・セミナー、北海道で始まり軽井沢に続く「キャンプ・ニドム」。これらはすべて企業主催だが、その他に山形県、神奈川県の二地方自治体の関係団体によるものを含めて、共に米国アスペン研究所や国際文化会館の協力を得て二〜三日、あるいは三〜四日のセミナーを開催し、わが国におけるアスペン的プログラムの編成や運営についての貴重な経験、知見は蓄積されてきている。
 アスペン・インスティテュート・ジャパン・カウンシルは、一九九二年、こうした各種セミナーのコーディネーション、そして行くゆくはより本格的なエグゼクティブ・セミナーを日本で開始するための準備活動を目的の一部として設けられた。当然この委員会メンバーは全員、日本や日本人の思考や行動が極端に局地化した技術偏重や、志や心、そして哲学の希薄なテクノクラシーから、明確な価値観と目的意識に裏付けられた、より大きく、より豊かなものに脱皮する必要性を痛感し、そしてその一助にアスペン・エグゼクティブ・セミナーや日本アスペン研究所(ジャパン・カウンシルの発展的解消の結果としての)の諸活動を役立てていきたいと願っている。

 アスペン研究所の活動はまずドイツに、そしてイタリアに、さらにフランスへと展開し、今ようやく日本に花を咲かせようとしている。
 社会の専門化、多様化、分散化、その結果としての瑣末化が進めば進むほど、そして快適な最先端の生活を享受していればいるほど、私たちは狭い「技術的」領域にとどまったり、部分最適に陥ることのないよう、たえず「何のため」という原点に立ちかえり、透徹した洞察力とトータルな視点をもって、獲得した技術知を真に人間的な知に高めるための方途を探りつづけねばならないであろう。遠く、また深く原典や古典に思索の糧を求め、視野を大きく世界に拡げつつ、現実を直視する勇気と謙虚さを、その思索と結びつけ、自らの判断と行動、そして思想の支柱に磨きをかける。
 日本におけるエグゼクティブ・セミナーの構想を実現するにあたり、大きな課題の一つは、その基本的な骨格と具体的内容をどのようなものにするか、ということであった。米国アスペンの精神を尊重しつつ、そしてその卓越したメソッドに則りながら、日本あるいは東洋にも配慮した内容にするということは知的チャレンジであったが、幸い、本間長世先生を中心とする企画委員会の先生方のひとかたならぬご尽力を得て、このような形でプログラムをまとめあげることができた。先生方が構想を練り、論を重ね、アスペン現地での体験を経てつくりあげられた今回のプログラムは、必ずやエグゼクティブ・セミナーの目的と狙いを参加者の皆さんにタップリ満喫していただける可能性を十二分に持っていると確信している。そしてその可能性が現実になるか否かは、勿論このプログラムが参加者の方々、モデレーター、学識経験者各位によってどう料理され、賞味されるかにかかっている。グッド・アパタイト、ボナペティ。