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謙虚さが世界を救う(下) ウォルター・アイザックソン氏

2020年05月28日リーダーシップ

 ウォルター・アイザックソン氏は、講演「謙虚さが世界を救う」の前半で、ベンジャミン・フランクリンの逸話を引きながら「謙虚さ」という価値について語り、さらにそれが現代の米国政治で失われていく様子を語りました。トランプ政権下の米国政治は、突然現れたわけではなく、すでにこの頃からの流れの上にあるのだということが良く分かります。
 講演の後半でアイザックソン氏は、20世紀を総括して「自由が勝った」としつつも、それを拒絶する原理主義や狂信主義の存在に触れます。そして、そのなかで自由が勝っていけるかどうかは、われわれが「謙虚さ」や「寛容さ」を維持できるかにかかっており、アスペン研究所のゴールもそこにあると述べています。
 独断専行の一国主義に振れる米国においても、このような理念・理想を守ろうとする人たちがいることを、是非、感じ取っていただきたいと思います。

孤立するアメリカ

dummyアイザックソン氏(右)と小林陽太郎氏(左)

 私は2週間前にドイツのアスペン研究所を訪れましたが、ドイツでもアメリカに対する反発、反感が高まっていることを知りました。もちろん、アメリカは共通の価値観をヨーロッパの人々と共有していますし、他の国々とも共有しています。にもかかわらず、そういう感情が高まっている。例えばベルリンでいろいろな国の大使館が並んでいる通りを歩いてゆくと、突然有刺鉄線を張って道路を封鎖しているところがある。それはアメリカ大使館へ通じる道でした。われわれは、アメリカは自由なヨーロッパをつくり、解放に貢献したと思っています。それなのにこれだけ反感が高まっているのはなぜか、よく考えてみるべきだと思います。
 テロや大量破壊兵器に関しての対応には、もう少し外交政策として強いものが求められてしかるべきなのかもしれません。そのためには、場合によっては他の国の主権を侵害することも許されるのかもしれない。しかし、その結果は、世界の仕組みを大きく変えるものになります。これまでの世界の安定は、いかなる国も他国の主権に介入しないという不文律によっていました。これを、核兵器やテロあるいは大量破壊兵器の拡散を防ぐためなら他国の主権を侵害してもよいという決まりにするのなら、それを放っておくわけにはいきません。
 そうした動きに歯止めをかけるには、やはり同盟国の了解が得られなければ行動を起こすことはできないようにすべきです。過去においては、さまざまな同盟なり連合というものは戦略的な利害関係をベースにつくられてきました。しかし、もっとも堅固な関係がつくられたのは、戦略的な利害が一致したときではなく、あるべき理想・理念を共有できたときでした。共通の価値観を持ち、それがベースになっているとさがもっとも強かったのです。
 例えば、かつてアメリカは、フランクリンを革命期のフランスに派遣し、支援を仰いだことがあります。そのときフランクリンは、2つの国の国民には共通の価値観があることを訴えるのが有効だと考え、印刷機を買って独立宣言を印刷して配りました。いままさにアスペンで話しているような、民主主義、自由、権利といったものの尊重について、フランスとアメリカがいかに共通しているかを訴えたのです。その結果、フランスはアメリカの同盟国となりました。

寛容の精神と共通の土台

 さらに言えば、情報の自由な流通は、暴政、圧政に対抗する力になるし、共通の価値観に基づいた同盟のベースになります。
 冷戦の最中の1989年に私はヨーロッパにいて、ある体験をしました。当時、チェコのブラチスラバにいたのですが、そこは鉄のか一テンの後ろにある街でした。私は外国人向けのホテルに泊まっており、当時、チェコ市民に対しては情報規制が行われていたのですが、そのホテルには衛星テレビがあって、外国からの放送番組を見ることができました。あるとき地元の学生たちが、音楽ビデオを見たいのであなたの部屋を使わせてほしいと言ってきた。そこでしぼらく外出して部屋に戻ってみたら、彼らは音楽を聞いていたわけではなく、CNNのニュースを見ていたのでした。ベルリンの壁がどうなっているか、ポーランドのグダニスクではどうなっているかを、彼らは知りたかったわけです。自由な情報の流れがあるところには、圧政は生存することはできないのです。
 また、数年前に、中国西部の小さな村のコーヒーショップで、4、5人の学生がコンピューターを使っているのに出会いました。何をやっているのかと聞くと、インターネットだと。そこで私もそれを借りて「タイム」と入力したところ、アクセス拒否となってしまいました。CNNとやっても同じでした。そこで学生の1人が、ちょっとどいてと言って入力を始めたのです。そうしたら、何と、タイムもCNNも出るではありませんか。どうやったのかと聞いたら、香港のプロキシ・サーバーを使えば国のセンサーに捕まらないんだよと言うわけです。そこでもやはり、情報が自由に流れ、行き来するところでは、自由な精神が台頭し、共通の価値観に基づいた連携が生まれてくることを確信しました。
 米国、日本、西欧の間には共通の価値観、自由なものの考え方、民主主義、そして法の秩序という形をとって現れる市民的自由という紐帯があり、これが非常に成功しました。20世紀に何が起こったか一言で説明せよと言われたら、私はこう言います。自由が勝ったと。しかし一方に、自由を可能にする寛容を拒絶する価値観がある。その中から、原理主義や狂信主義が台頭してくるわけです。信仰を持つことはいいことだという考えがありますが、信仰にも2つの種類があり、われわれを謙虚にさせるような信仰もあれば、狂信主義に走らせるような信仰もある。われわれを謙虚にさせるような信仰とは、民主主義や寛容に裏打ちされたもので、共通の土台、共通の理想をつくる道を開くものです。
 ベンジャミン・フランクリンがアスペン研究所のようなクラブをつくったとき、幾つかの規則を設けました。その一つが他者への寛容でした。そこでは、常に意見交換や提案をするのはよいけれども、誰かの意見に対して表立って反対をしてはならないというソクラテス方式、アスペン方式を採用していました。もしもあからさまに反対意見を言ったりすれば、罰金を払わなければならなかった。ベンジャミン・フランクリンは、晩年に住んでいたフィラデルフィアで宗派の異なるすべての教会に献金をしています。彼は、コンスタンチノープルの首長がイスラム教の話をしに来たとしても、やはり寛容を保ったでしょう。だから彼が亡くなったとき、彼が所属する教会の司教だけでなく、フィラデルフィア中の司教、牧師、ユダヤ教のラビたちが彼の葬儀に参列したのでした。
 アスペン研究所のゴールもそういうものです。われわれは寛容を活動の中核としなければなりません。寛容とは基本的な道徳理念で、それは一人ひとりの権利を尊重することにほかならない。これが世界中のアスペン研究所のパートナーにとっての使命です。非常にシンプル、かつ深い使命です。この使命はいま、かつてないほど重要になってきています。今日、世界はテロの脅威、狂信主義の脅威にさらされています。この使命の遂行こそが、米国がやらなければならないことなのです。
 自由が勝つとは、こうした寛容そして謙虚さを、維持できるかどうかということです。共通の価値観を理解し、それに基づいて寛容と謙虚を実践する。21世紀においても、20世紀のこの理念は生き続けることでしょう。

(完)