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村上陽一郎先生×猪木武徳先生 対談『教養としての「漱石」』(1)

2020年07月09日世界・日本

 日本のアスペン・セミナーでは、西洋の古典に加え、東洋の古典も多く取り上げています。なかでもヤング・エグゼクティブ・セミナーの冒頭では、夏目漱石の「現代日本の開化」という講演録を読み、現在の日本にも通じる漱石の文明批評を題材に、対話を展開します。
 夏目漱石は、私たちにとってなじみ深い作家ですが、その魅力はどこにあるのでしょうか。アスペン・セミナーでモデレーターとしてご指導いただいている村上陽一郎先生と猪木武徳先生が、2006年の会報で、このテーマで対談をされています。今回はこの対談の内容を、5回に分けてご紹介し、漱石の魅力、文学の魅力、さらには教養人とは何かについて考えます。


猪木武徳・国際日本文化研究センター教授
村上陽一郎・国際基督教大学教授
(司会)篠原 興・㈶国際通貨研究所顧問
(いずれも、当時のお肩書)

教養人の条件

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篠原:アスペン・セミナーとしましては、これまでに「ウイークエンド・セミナー」と「ヤング・エグゼクティブ・セミナー」とで一回ずつ漱石を取上げましたが、みんな面白がって、それぞれなかなかいい議論ができたと思います。そこで今回は夏目漱石をテーマにお二人の先生方に語り合っていただき、改めて現代に生きる私たちにとって夏目漱石はどのような意味や重要性を持ち、どのように向かい合うべき峰なのかを考えたいと思っています。
 まず『やりなおし教養講座』(NTT出版)の中で、漱石のことをかなり意図的にお書きになられた村上先生から始めていただけますか。

村上:大学で数えている者としての実感から言いますと、最近は講義の中で『三四郎』を引用しても、学生が全く反応しなくなりましたね。この傾向は10年前くらいからですが、多分どこの大学も似たようなものでしょう。なぜなら、いま中学や高校の国語の教科書から漱石はどんどん消えていますから。
 これまで『三四郎』は、知的世界に入ろうとする者たちが誰に言われるでもなく読み継いでいくものの一つとして、とにかく手に取られていました。特に若い学生に、いろいろな意味でものを考えさせるよい材料になっていましたからね。その『三四郎』の、いわば語り継がれ、読み継がれてきた知の伝統と言うべき流れが断ち切られてしまっていることは、私にとっては非常につらいことなんです。『三四郎』のような古典を読むことを教養と言うとすれば、教養とは人間として生きていく上で必要な肥やしのようなものですから、最近ではその肥やしの質が変わってきているのかもしれない。一方、ではそれに代わり得るものがあるのかどうか。その二つが、私のいま一番気になっていることなんです。

猪木:私も演習に応募してくる学生にいろいろアンケートに答えてもらう中に、「あなたがいままで一番影響を受けたあるいは面白いと思った本を1~2冊挙げてください」という質問を入れていたんです。ほぼ30年、学部の学生を教えていましたが、最初の10年ぐらいまでは大体私の知っている本が入っていました。それが20年前くらいから、私の全然知らない本や漫画本の名前が書かれるようになったんです。そこで食事会などのときに、「君たち小説は読まないのかね」と学生たちに聞いてみたら、現代の作家のものは読まないし、昔のものもほとんど読まないと。その理由は、いまの漫画家は小説家などよりはるかに勉強して調べて描いているから、漫画を読んでいる方が面白いと言うんです。
 考えてみたら、夏目漱石も古今東西のさまざまな分野の文献をたくさん読んで、よく勉強していましたね。やはりよく学び、よく考えた人の書いたものは人の心を動かすということでは一緒ですから、学生たちに支持されている現代の漫画家の作品も、そうそう軽く見られないなという感じを持っています。
 そういう意味では、戦前の一部の作家は、単に物知りというだけではなくて、その知識をベースに現実との緊張関係の中で創作活動を行っていたように思います。例えば漱石の場合は、西洋文化を自家薬籠中の物とし、そこから日本の現実を見ようとしていた。そうした意識から出てくる緊張感と言いますか、葛藤の中から生み出されたものとそうでないものとでは、おのずと人を引きつける力は異なってくるわけで、私はそれが広い意味での教養ではないかと思っているんです。

村上:いまおっしゃったことは、別の面から見ればいまは知識人というものがいなくなりつつあるということですね。例えば漱石の持っている厚みとは、まさに知識人としてのそれだと思うんです。私の親しいイギリスの社会学者が最近『知識人』という本を書き、その中で面白いことを言っています。彼によると「知識人とは、アカデミシャンではない、ジャーナリストでもない、マーケッターでもない、ロイヤーでもない、(中略)中でも最も近そうで実は最も違うのがフィロソファーである」と(笑)。
 彼は皮肉な見方をする男なのでそう言ったあとで、知識人であるための条件として、まず、すべてのことを自身の評価眼は持ちつつもいろいろな角度から見ることのできる能力を持っていること。また、論争に際しては自己の正しさを粘り強く主張しながらも、相手の間違いに対しては穏やかに指摘することができること。さらに、すべてのことについて絶対正しいとも言わず、絶対間遠っていると言って軽蔑もしないこと。そして最後に非常に重要と私には思われた条件が、いかなるメディアを使っても自分の言いたいことがきちんと言えること。論文であれ、ラジオであれ、テレビジョンであれ、新聞であれね。アカデミシャンには、それができないと言うわけです。

篠原:いまのお話とちょうどバラレルなテーゼを猪木先生は『文芸にあらわれた日本の近代』(有斐閣)というご本の中で書かれていますね。

猪木:いま村上さんが列挙された条件、つまり知性の柔軟さとは、教養人にとって必須のものだと思うんです。知を深めるうえで他人から学ぶことは欠かせませんが、もし自分が絶対に正しいと思っていたら他人から学ぶことはできませんから。そこで問われるのが、相手の立場に身を置いて考えてみることができる能力ですね。
 福田恒存でしたか、世の中には学歴、つまり教育と関係のない教養もあると言っています。彼が地方で汽車に来ったとき、別の席に坐っていた土地の老婦人が「窓を開けてもよろしいか」と福田恒存に尋ねたときのしぐさと言葉遣いが、決していわゆる都会的な意味での高学歴女性のようではなかったけれど、人との距離を保った実に品のいい言葉としぐさだった。これこそが教養というものだと感じたと、彼は書いています。相手の立場に身を置くとか、自分を省みて見るというような自省的な態度、謙虚さ、日常的でないものにぶつかったときに応用のきく精神の柔らかさが、本当の意味での教養というものなのでしょう。

(次回に続く)