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9月15日は本間長世先生の、10月13日は今道友信先生の命日。両先生を偲ぶ鼎談を再掲載(2)

2020年09月17日アスペンセミナー

 前回に引き続き、本間先生、今道先生を偲ぶ鼎談を掲載します。
 前回は、両先生のお人柄に触れつつ、アスペン・セミナーのテキスト・ビルディングについて語られました。
 今回は、参加者による対話が中心のアスペン・セミナーの特徴を踏まえて、両先生のモデレーターとしての姿勢や、日本の教育で軽視されているレトリックの重要性などに話が及びます。


鼎談 リベラルアーツの魅力を広げる――本問先生、今遣先生を偲んで
会報「アスペン・フェロー」No, 24(2013年3月発行)より

小林陽太郎 ●日本アスペン研究所理事長
村上陽一郎 ●日本アスペン研究所副理事長 東洋英和女学院大学学長
松山幸雄  ●日本アスペン研究所理事 共立女子大学名誉教授
(肩書は、鼎談が行われた当時のものです)

レトリックの重要性

小林 村上先生にはいつからご参加いただいたんでしたか。

村上 さて、それが正確に覚えていないのですが(笑)、テキスト選定の段階から関わっておられた坂部恵さんに声をかけていただいたと思います。坂部さんと私は同僚でしたので。
 先ほど今道先生のお若いときのエピソードがありましたが、今道先生は大変ユニークなキャラクターの持ち主で、毀誉褒貶もさまざまにある方ですから、日本の学会、特に東大の美学の教室とお辞めになってからの今道先生との関係も、必ずしもスムーズではなかったんです。

松山 思ったことをズバズバ言われ、付和雷同は絶対にしませんでしたからね。それから権力とか権威というものに全然敬意を払わない。あるとき、今道先生と一緒にある県知事を表敬訪問した際、今道先生は途中で機嫌が悪くなり、知事室を出るなり「何でこんなつまらん人物に貴重な時間を使って会わなきゃいかんのか」と言われた。そんな調子で多くの敵をつくってしまうんでしょうね。

村上 しかし、学界で不幸な経験もなさったからこそ、アスペンに来られて、いまおっしゃったように何らの権力に頼ることなくご自分の学識だけで勝負できるから、セミナーには非常に熱心で、アスペン精神をとても大事にしておられたことは確かですね。だから、対話が少しでもテキストから外れると、厳しく叱っておられた。

松山 参加者の皆さんはそれぞれの道で苦労してこられた方たちだから、テキストから離れて「私の見解は」と言いたがる。そうすると今道先生の機嫌が悪くなる(笑)。

小林 私が77年にアスペンに行ったときのモデレーターの一人が、コロンビア大学のチャールズ・フランケルという有名な哲学者だったんです。当時、アメリカ人の参加者の中にもテキストをあまり読んでこないで、対話するのではなく、質問して先生に答えてもらうのが当たり前だと思っている人がけっこういたんですね。彼はそういうことにはものすごく厳しい人だったので、だんだん参加者から敬遠され始めてしまって。そのときのもう一人のモデレーターはシカゴ第一銀行の頭取で、なかなかよくできた人でアスペンの副理事長もしていましたが、ある日、シカゴに急用という口実をつくって退席してしまった。それは、この先生とは同じモデレーターとしてもう付き合えないということだったんですね。それでも私は、言葉がそれほどわからなかったということもあるんですが、非常に魅力的で面白い先生だと思っていました。いま思うと、あの厳しさには今道先生と相通じるものがありましたね。

松山 開会早々、参加者の誰もが本間・今道両先生の発するオーラに圧倒され、自分と同じレベルの人が順番にテキストに沿って三分間感想を述べるのを聞くより、この機会にお二人の見解を知りたいと思う――その気持ちは私にもよくわかります。本場のアスペンでは、私はともかく(笑)、モデレーターと参加者の教養のレベルにそれほどの差はありませんが、率直に言って日本アスペンでは両者に大きな隔たりがある。ですからついついモデレーターの大先生のご高説を聞きたい、という構えになってしまうんですね。

小林 確かにそれはありますね。

松山 ほとんどの日本人には、学生のころから偉い人の話をノートにとって帰りたいという習慣が身についているので、少なくとも初日から二日目ぐらいまでは、聞くだけの講演会になる危険があります。

村上 おっしゃるとおりですね。

松山 長年にわたって大学で教えていらっしゃる村上先生を前に言うのもなんだけれど、日本のエリート教育の中で欠けているのは、知的な表現力ですね。知識だけはかなり豊かで、また書かせれば立派なゼミ・レポート、卒業論文をものにするけれど、口頭での魅力的な表現を身につける訓練をあまり受けていない。
 しかし、もしいまの世の中で「一刀流の免許皆伝」とか「柳生流の奥義」といったものがあるとすれば、それは小太刀の冴えというか「適切で簡潔な表現」なんですね。政治家の「そもそも……」演説、獅子吼、全学連のアジ演説的なものは、国際社会では全然役に立たない。だから、自分の意見を簡潔に述べるというアスペンでの訓練は、大変意味があると思います。

村上 これは本間先生とも意見が一致していたのですが、日本では修辞学(レトリック)を軽んじ過ぎると。自分が言いたいことを、説得的に、簡潔に、しかもずばりと言う訓練を、残念ながら大学ではやっていないんです。レトリックと言えば何か悪いものというイメージで捉えられてしまっているんですね。

松山 日本の偉い人は「誠心誠意、腹と腹を割って話せばわかってもらえる。小細工はいらない」(笑)と考えがちですが、欧米では言葉がすべてなんですね。

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故・本間長世(ほんまながよ)氏
 1929年東京生まれ。東京大学名誉教授、 日本アスペン研究所副理事長。東京大学教養学部教養学科卒業後、米国アマースト大学およぴコロンビア大学留学。東京大学教養学部教授、東京女子大学現代文化学部教授、学校法人成城学園学園長・理事長などを歴任。国際交流基金日米センター所長、国際文化会館理事、国立民族学博物館評議員、日米文化教育交流会議日本側委員長、アメリカ芸術科学院外国人名誉会員なども務める。1995年、アメリカ思想史研究により紫綬褒章受章、2002年には文化功労者に選ばれた。
 日本アスペン・セミナーのテキスト選定にも深く関わり、副理事長、モデレーターとしてセミナーをはじめとする研究所のさまざまな活動を牽引。2012年2月 のエグゼクティブ・セミナーがモデレーターとしての最後の仕事となった。
 2012年9月15日逝去。享年83歳。

故・今道友信(いまみちとものぶ)氏
 1922年東京生まれ。美学者・哲学者。東京大学名誉教授、日本アスペン研究所特別顧問、文学博士。東京大学文学部哲学科卒業。同大学院を修了後、パリ大学、ヴュルツブルク大学非常勤講師、九州大学助教授を経て東京大学文学部教授となる。哲学美学比較研究国際センター所長、パリ哲学国際研究所所長、英知大学キリスト教文化研究所所長、日本美容専門学校校長などを歴任。1986年に紫綬褒章、1993年に勲三等旭日中綬章を受章した他、著書『ダンテ「神曲」講義』で舅25回マルコ・ポーロ賞、『美の存立と生成』で第19回和辻哲郎文化賞(学術部門)を受賞。
 詩人としても知られ、2012年5月に画家・葉祥明氏の挿絵による詩集『雲のゆくおるがん』を出版。201O年7月のエグゼクティブ・セミナーがモデレーターとしての最後の仕事となった。
 2012年10月13日逝去。享年89歳。


(次回に続く)