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塩川徹也先生「文学は何の役に立つのか(3)」

2021年02月02日ヒューマニティ

 前回のコラムで塩川先生は、母親に代表される身近な人によって教えられる、狭い地域にしか通用しない話しことば「母語」に対して、「父語」という新しいタームを提起されました。それは、身内ではない他者と関係を取り結び、社会生活、職業生活、公共生活を営んで行くための文字に基づくより高度な言語です。古来、そうしたことばは、学校教育でヒューマニティや国語といった広い意味での文学を通して教えられてきたと説かれます。
 今回のコラムでは、これまで語られてきた広い意味での文学から、現在、通常の意味で使われている「芸術としての文学」に絞って、それを学ぶことの意義が論じられます。なぜ文学は、社会生活を営むうえでの必須の能力を養うための科目として教え続けられてきたのでしょうか。

芸術作品としての文学

 それでは、第二の話題、芸術ないし芸術作品としての文学に移ります。この意味での文学に慣れ親しみ、さらには学ぶことには、いかなる意味、いかなる効用があるのでしょうか。これは、文学の必要性を感じている人にはすぐに分かってもらえるけれど、そうでない人に対しては、いくら理屈を述べ立てても、それは証明すべき事柄を前提とする議論のように思われて、なかなか効果を発揮しない、厄介な問題です。しかし現実問題として、文学は教育、それも幼児教育から学校教育を経て生涯学習に至る教育のあらゆる段階で学びの対象となり、文化の中で無視できない役割を果たしてきました。この事実は、今日文学教育に対する風当たりが強いとは言え、そして文学無用論は歴史の中で何度も繰り返されてきたのですが、社会が文学を学ぶことの意義と効用を直感的に感じ取り、認めてきたことの証左です。それを踏まえて、社会と文化が文学に認める意義と効用が何であるか、二つの点に絞って手短にお話します。
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 第一は、文学あるいは文学のことばが、言語の可能性を拡大することを通じて、個人と社会の言語能力を高めるカギとなるということです。リテラシー教育やレトリック教育は、何も言語の芸術的使用を教えることを目標としているわけではありません。それは社会生活や職業生活において必要なコミュニケーションと説得という実用的な言語能力を養成することを目指しています。しかしそれなら、一般の言語教育においては、言語の知的・論理的側面だけに注目して、それを発展させるだけで十分なのでしょうか。理屈の上で正しい言論を作り上げて、それを相手に差し出せば、相手はそれを素直に受け入れて納得するのでしょうか。そうは行かないことを、誰でも本能的に知っています。それは、コミュニケーションや説得の行為が曲りなりにも成立するためには、話し手と聞き手の間に理屈以前の人間的共感が不可欠だからです。
 公共の弁論の場で、弁論家は聴衆から耳を傾けるだけの価値をもった人柄だと認知される必要があります。逆に弁論家には、自分が説得しようとする聴衆がいかなる性格の持ち主であり、その心の琴線がどこにあるかを観察し、感じ取る能力が要求されます。つまりレトリックは、たんに理屈の上で説得力のある議論を組み立てるばかりでなく、それが向けられる聴衆(あるいは読者)との間に共感を呼び覚ますことを心掛け、それを可能にするテクニックを学習するディシプリンだったのです。
 そのためにレトリックは文学作品を読解の教材の中心に据えました。また作文の練習では文学作品を出発点として、ある状況に置かれた登場人物の心情を想像し、彼らがどのように考え行動したかを、物語として語ることを課題として奨励しました。芸術としての文学は、レトリック教育の柱の一つとなっていたのです。それはもちろん芸術としての文学が、読者の想像力をかきたてることを通じて、他者への共感を可能にする最良の手段であることが広く認められていたからです。そしてこれが、今日のお話の最後の論点になります。
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 音楽や絵画のような芸術と比べて、言語芸術である文学のもつ最大の特徴は、それが虚構の物語(フィクション)を紡ぎだすところにあります。音楽や絵画はもちろん人に大きな感動を与え、豊かな情操を養うのに貢献しますが、それはフィクションではなく、現実の印象として感受されます。そしてそこで引き起こされる感動は、そのままでは直接的で個人的なレヴェルにとどまります。それに対して、文学作品の虚構は、少なくともそれが優れた作品であるかぎり、私たちが他者の立場に自分を置き、それを通じて私たちのものとは異なる世界を眺め、異なる社会を観察することを可能にしてくれます。
 要するに、文学作品を読むことで、私たちはさまざまな差異と多様性、出自やジェンダーや階級、地域性や国民性や宗教といったダイバーシティを生きる人々に出会い、彼らを通じて、そのような差異を持った他者の感情、思考、世界の見方に触れることができます。そしてあらゆる差異を超えて、他者が自分と同じように心を備えていることに気づくとき、人間としての共感が生まれるのです。これが、芸術としての文学の効用です。

(次回へ続く)