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渋谷治美先生「『チボー家の人々』の思い出(1)」

2021年03月05日ヒューマニティ

 文学はもとより、さまざまな本との出会いが人生の大きな転機になることは、多くの方々が経験しているのではないでしょうか。私たち一般的なビジネスパーソンでもそのような体験をしているのですから、学究の世界に入っていった学者の方々が、青年期にどのような読書体験をされたのかについては、興味が尽きません。
 当研究所の会報誌「アスペン・フェロー」には、「活字からの贈り物」というアカデミアの先生方の読書体験が綴られたコーナーがあります。今回はその中から、当研究所の諮問委員で埼玉大学名誉教授の渋谷治美先生のご寄稿(アスペン・フェローNo.24 2013年3月)を掲載します。
 野球に明け暮れていた若き日の渋谷少年は、どのようにして知の世界へ分け入ったのでしょうか。

『チボー家の人々』の思い出
渋谷治美
日本アスペン研究所・諮問委員
埼玉大学名誉教授

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 正真正銘、それは五十年前のことだ。中学二年の私は、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』を読み始めた。翻訳は山内義雄氏の手による。後年、名訳の定評があるのを知った。新潮社発行の「新版世界文学全集」に、函入り、ハード・バック、各巻380頁見当で五巻に分冊されて収められていた。
 この長編小説の概要をごく簡単に確認しよう。二十世紀初頭、パリに住む富豪のチボー家に、厳格な父親の監視の許、アントワーヌとジャックの二人の歳の離れた兄弟が育つ。兄は内科医として大成したのと対照的に、弟のジャック(主人公)はいわゆる〈ぐれた〉少年となり、家出をしたり感化院に入れられたりする。後年彼は小説を書きながら反戦活動(第一次世界大戦勃発の直前)に加わるが、反戦ビラの撒布中に悲惨な死をとげる。他方兄はフランス軍の軍医として戦地に赴くが、ドイツ軍の毒ガス作戦に遭い、最後は死ぬ。あとには、ジャックと少年のころの親友ダニエルの妹ジュンニーとの間に生まれた男の子が残される。
 さて、第一巻の巻末を見ると、私の字で昭和37年8月8日とある。これはたぶん購入した日付であろう。当時私は野球部に所属していたから、夏の大会の終わったあとになって集中的に読み進めたのだと思われる(このへんは、わがことながらどうしても文体が推量形となる。なにしろ五十年前のことなのだ)。
 そして、五巻すべてを読み終わったのは、大学二年の秋だった。昭和43年11月のことである(すでに大学闘争が始まって半年が経過していた)。読み始めてから六年強、足かけ七年掛かったわけだ。
 中学生の私にはそのへんの事情は分からなかったのであるが、日本語版版権は白水社の所有であって、新潮社はそれを借り受けて上記の全集に収めたようだ。白水社がライヴァル社に版権を貸したについては、訳者の意向が強く働いたのであろう。したがって本屋にいくと、(はじめは気がつかなかったが)当然のごとく白水社からも五巻本で出揃っていた。だがこちらはハード・バックでなく(つまりペーパー・バックということ)、その分何となく安っぽく見えて物足りなく感じたので、偶然とはいえ新潮社版で読み始めたことに中学生ながら安堵を覚えたことを覚えている。この点で、新潮社版の各巻のカヴァ一に、半抽象画が鮮やかなカラー印刷として載っていたことも見落とせない。この厳かさ・豪華さが、「よし、何としても最後まで読んでやるぞ」という決意を促してくれたのかもしれない。それが実って、六年後とはいえともかく全巻読破となって成就したわけであるから、これらの要因と選択の偶然は大きい。
 さて、どうしてこの小説を読み始めたのか、そのきっかけが何だったのかはとんと思い出せない。あたかも縄文土器の破片状態と化した記憶を無理につなぎ合わせて復元してみると、何かの書評か読書案内で、原作を一巻に短縮し、主人公ジャックを中心として少年少女向けに書き直した『チボー家のジャック』が薦められていたのが、それだったと思う。これが私にめらめらと火をつけた。中学生に向かって偽物を薦めるとは何たる侮辱か、と猛反発したのだ。それが、本物たる原作(の翻訳)五巷の読破の決意を呼んだわけである。

次回に続く