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東日本大震災から10年 震災後の鼎談を振り返る(1)

2021年03月24日対話

 東日本を襲った大震災から10年。被災地は復興が進み、街々の様子は大きく変わりつつある一方、私たちはコロナ禍という震災とは違った試練に直面し、また、東日本大震災の余震とみられる地震が再度活発化するなど、安穏ならざる状況が続いています。
 大震災当時、私たちを含む多くの人たちは、この災害から学んだ教訓を忘れてはならないと心に誓いました。しかし、忘却は人間の常であり、記憶が薄れていくのは、如何ともしがたいのが現実です。
 東日本大震災の一年後、当研究所にご協力いただいている先生方に、震災が私たちに問いかけたものは何かについて、特に「よく生きる」というアスペン・セミナーの大きな問いを軸に鼎談をしていただきました。(アスペン・フェロー No.22 2012年3月発行に掲載)
 人間は忘却から逃れられませんが、せめてその時期を遅らせるためにも、繰り返し想い起こす機会を設けたいと思い、改めてこの鼎談を数回に分けて掲載いたします。

鼎談「よく生きる」とは何か

村上陽一郎
●日本アスペン研究所副理事長
 東洋英和女学院大学学長
関根清三
●日本アスペン研究所諮問委員
 東京大学大学院人文社会系研究科教授
荻野弘之
●上智大学文学部哲学科教授
〈司会〉
山口裕視
●国土交通省総合政策局国際政策課長
(※肩書は当時)

技術者の倫理と責任

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山口 3.11をめぐってはこれまでもさまざまなテーマで語られてきましたが、きょうは技術社会における倫理の問題、リーダーシップ、そしてアスペン・セミナーでもよく語られる「よく生きる」ことあるいは人類の幸福とは何かという三つのテーマを中心に、震災が私たちに問いかけたものは何かを先生方にお話し合いいただきたいと思います。
 まず「技術社会における倫理」についてですが、今回の震災、とりわけ原発事故に関連してこのテーマを語ろうとすれば、結局「安全」という言葉に帰すると思います。震災時に改めて安全性が確認された分野もありましたが、一方で一定の信頼をかちえていたと思われていた原発という技術が、いまも私たちに不安を与え続けています。村上先生はこの問題をどのようにお考えでしょうか。

村上 原発の問題は私にとっては非常に辛いテーマなんです。というのは、私はいまや悪名高い原子力安全・保安院の保安部会部会長を平成14年から八年間務めていました。原子力安全・保安院は「原子力」という名前がついているから原子力だけ扱っているのかというとそうではなくて、資源エネルギー庁の中の一組織としてエネルギー全般に関する安全の問題を包括的に取り扱っているんです。保安部会というのは、その中でステークホルダー(利害関係者)と言われている人たち、例えば原発立地自治体の長、消費者運動の指導者、弁護士、アカデミアの世界などからも人が集まって形成されており、電力会社の人はオブザーバーとして参加しています。その中で、もちろん原子力が一番重要であり、中でも地震に対する対策はみんなが気にしていて、それなりの対応をしていたんです。だから今回、激しい揺れの中でもすべてスクラム(緊急停止)までは動いた。そういう意味で、技術不信が現代社会を覆っているように見えるけれども、正直なところ、私はこれまで積み重ねてきた技術が無になったわけではないと思いたいのです。
 その明白な証拠の一つが、鉄道の安全が保たれたことです。例えば新幹線では1964年の開業以来、この地震国で地震による鉄道事故での死傷者は、今回も含めてゼロなんです。この数字は世界的に見ても驚くべきことだと思いますが、これは技術者たちが、これまでの災害を一つずつ分析して、弱いところを補強し、足りないところを充足させていくという、技術者としてなすべきことを篤実にやり続けてきた結果だと思います。阪神・淡路大震災では新幹線の橋桁などが破損しましたが、今回は全く壊れていません。
 では原発事故はなぜ起きたのだということになりますが、八年間の保安部会における経験を振り返って、もう本当に恥じ入るというか、悔やむというか、考えざるを得ないのですが、まともに津波のことを取り上げて議論をしたことは一度もなかったのです。スマトラやインドネシアで大地震があり、何十万という方々が亡くなった大津波がありましたが、幸か不幸かここ二十年ぐらいの間に日本で起こった地震に関しては、津波はほとんどなかったんですね。後でわかったことですが、議題に上げたい意向を示した内部者はいたけれど、結果的に正式の議題には上がらなかった。これは返す返すも残念というか、心苦しいというか、辛く思うところです。
 話が少し飛躍しますが、明治19年に東京大学が工学部をつくりました。それまではフランスのエコール・ポリテクニークとかドイツのTechnische Hochschuleをモデルにした工部大学校がありましたが、engineeringを「工学」と訳したときに意識が随分違ってきたんです。というのはengineeringを英語の辞書で調べると「engineering is a profession」と必ず書いてあります。ではprofessionと呼ばれるengineeringとは何かというと、まず行動規範が重要になるんです。エンジニアは、クライアントに対する責任を果たすことと、クライアントの要求に対応することで社会に不安や社会の不利益を引き起こすのであれば、そこでもう一回自分の責任が問われるということを考えなければならない。つまり二重の責任をエンジニアは負うことになるのです。そういう意味で、鉄道技術などは日本でも完全にprofessionなエンジニアの世界だと思います。でも原子力になると工学の世界ですから、鉄道技術で行われているような現場の動きと学問とが直結しない。下請けも含めて現場の人たちと工学者たちが考えている世界の間には、かなりかけ離れたところがある。その辺が日本の技術の世界が持っている隘路として、今回見えたように思います。

山口 自動車にしろ航空機にしろ、完全に死傷者ゼロという状態には至っていない技術ですが、技術そのものを封印すべきだという議論は起こっていません。先生のお話を伺って、原子力の場合には理解できない乖離のようなものを社会の側が感じているのかなと思いましたが。

村上 いろいろな技術が社会的に応用されるとき、専門家だけで意思決定をしてよいのかというテクノロジー・アセスメントの問題が、この二十年ほどさまざまな形で議論されるようになりましたが、そこで一つのキーワードが浮上しているんです。それはアップストリーム(上流)・アセスメントという言葉で、新しいイノベーションが起こって社会の中に拡散していこうとしているときに、その開発の上流の段階で、人々がどの程度ものを言うことができるかという問題です。例えばGMO(遺伝子組換作物)は世界的に見ればとっくの昔に開発され、アメリカなどは極めて広く広がっているけれども、日本では未だに非常に厳しい実験圃場しか許されていない段階です。そういう社会の中に拡散していく前の段階で、ステークホルダーたちが意思決定にどの程度関われるのか。もちろん自動車などは余りにも歴史的に古いから問題外になっていますが、原子力に関しては、社会に取り入れられ、自分たちの生活を左右するようになる前に、ある程度人々が意思決定へ参画できていれば、社会との乖離はもう少し小さくて済んだのではないかと思います。確かに原子力でも、円卓会議や公聴会的なイベントを随分やってきましたが、アップストリームどころかミドルストリームでもなく、河口あたりで初めて行われたことが、人々の心の中に合点がいかない思いとして残っているのだろうと思います。

(次回に続く)