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懇話会短信~「私の漱石」 村上陽一郎・東京大学名誉教授・国際基督教大学名誉教授による懇話会を開催~

2021年01月19日

 アスペン・フェローズの新春懇話会が1月16日(土)、オンライン配信にて開催されました。
 今回の講師は、当研究所の副理事長で、東京大学名誉教授・国際基督教大学名誉教授の村上陽一郎先生。村上先生が子供のころから愛読されている夏目漱石の著作や漱石自身について語っていただきました。
 新春懇話会は、例年であれば、六本木の国際文化会館にお集まりいただき、懇話会の後、懇親会という流れなのですが、今年はやむを得ずオンラインでの配信となり、懇親の場を設けることができませんでした。ただし、その一方で、全国各地からご視聴いただくことができ、100名を越える参加申込がありました。

dummy村上陽一郎先生(右)と司会の渋谷治美先生(左)

 村上先生は、お父様の書棚にあった漱石の本と出会って以来、漱石の著作に触れながらご自身の心が育っていったと話されます。登場人物とご自身を重ね合わせながら漱石の作品を読み、自らの心を涵養していくという村上先生に、教養人としての理想の姿を垣間見た感がありました。

 ご講話の後半では、漱石が作品を通して扱ってきたテーマのひとつ、「他者の心」について論じられます。美禰子の心を掴めない三四郎、自分の心さえ自分で掴んでいるとは言えない『それから』の大助などを例に挙げながら、人の心の不思議さに迫ります。
 村上先生はさらに、デカルトは”cogito ergo sum”(我思うゆえに我あり)と言ったが、デカルトが自明と考えた自分の心は果たして自分だけで形成されるものなのか、自分の心は他者との関りのなかで形作られるものではないのか、という哲学的な問いに発展させて考察を進められます。文学は、こうした哲学的な問いを持ちながら読むことで、読者を謙虚にし、他者の心を推し量るイマジネーションを育ててくれるものなのだとの思いを強くしました。

 村上先生は、当研究所の会報「アスペン・フェロー」でも、漱石について猪木武徳先生と対談をされています。あわせてご覧ください。

村上陽一郎先生×猪木武徳先生 対談『教養としての「漱石」』