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関根清三先生の「人文学不要論に寄せて―セミナーの現場から(5)」

2020年12月09日古典

 関根先生による「人文学不要論に寄せて」もいよいよ最終回です。
 前回のコラムでは、宗教に関連するハヴェルのテキストを巡る対話が紹介されました。私たちがもし、創造主が「存在」を創造したことが信じられなくなったとしても、私たち自身の「存在」が「何者かによって与えられていること」(存在の所与性)は認めざるを得ない、そのことに気づくことで私たちは謙虚になることができ、お互いを尊重できるようになる契機がある、という方向へ対話が進む様子が描かれました。
 さて、関根先生は本稿の結びとして、アスペン精神とアスペン・セミナーで扱われる「価値」の問題に立ち返ります。古典が語る様々な価値について、単に「この古典にはこう書いてある」という理解をするだけでなく、対話を通して自分の価値観そのものについて内省する。ここに、単なる「教養講座」とは異なる、アスペン・セミナーの真骨頂があります。関根先生は、そのような対話を促すためのモデレーター、リソースパースンの役割と責任、さらには喜びについても言及され、セミナーという場を通した「魂の世話」が人文知によって豊かになっていくことに、大きな期待と可能性を示されています。
 この論考を通して、アスペン・セミナーの一番深い部分を感じていただければ幸いです。

Ⅲ.アスペン精神再考

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 以上、モデレーションの手の内を明かしつつ、最近のセミナーの一端を御紹介してきたが、最後に、アスペン精神の基本に思いをめぐらして結びとしたい。
 古典のテクストに基づいて対話を積み重ねるアスペン・セミナーは、リーダーシップ・プログラムである。企業は官庁のリーダーの方たちが、組織をリードしていくための確固たる価値観を形成される一助として、一見迂遠なように見えようとも、人類の知的遺産であり、様々な価値の宝庫である古典に学んでいただく。そして様々な対話を重ねながら、その価値の価値たる所以を検討し、取捨選択し、現代のリーダーとしての新たな価値を発見し創造してくださる縁とする。それがアスペン・セミナーの、他に類例のない、独自の地歩に違いない。
 そうした価値は、例えば、真・善・美であり、時には聖ということも考えねばならず、また日本のアスペン・セミナーでは、中でも倫理的善が重視されて来たように見える。とすると、そうした善は、東洋の仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表されることもあるだろうし、知恵、勇気、節制、正義といったギリシアの四元徳、信仰、希望、愛といったキリスト教の三元徳としても具現化するかもしれない。人類の古典は、例えばそうした価値について考えて来た。その中には現代ではもう古いもの、手垢がついて現代的に刷新しなければならないものも含まれるだろうが、それらに学びつつ、自分の問題として考えていくことが、重要となる。アスペン・セミナーは、煎じ詰めれば、正にそうした主体的な価値の問題をめぐって、対話を通じ考察を深める場である筈だ。
 参加者の多くは、古典「を」客観的に学ぶのではなく、古典「に」主体的に学び、そこからリーダーとしての自分の価値観を養っていくヒントを得たいというスタンスで参加される。なるべくそういう想いの企業・官庁のリーダーの方たちに、良質のものを持ち帰っていただくため、良いテクストを精錬改訂し、テクストについての言わば客観的・歴史学的な学問成果をコンパクトに分かり易くお伝えできるよう準備を怠らず、そして何よりもその先に、価値に踏み込んだ主体的・哲学的な議論を促すこと、また議論を整理して、時には自らの意見も披歴して、対話の活性化に資すること、それが私ども現場のモデレーター、リソース・パーソンの務めだと理解している。
 アカデミアのモデレーター、リソース・パーソンにとっても、それは新鮮な喜びである。大学のゼミだと正確にテクストを読む基礎的作業に時間と労力を割かれるし、研究者としてもやはり歴史学的な客観性のチェックに随分神経を使うので、主体的な価値の問題にまで踏み込めないことがある。しかしアスペンに来ると、そういう自分の日々の制約で蔑ろにする傾向のあった価値の問題に、スッと入り込むことができる。また日々の自分の研究が、そうした現場のリアリティという試金石でこすられ、その硬度・純度を改めて試される。その意味で、人文知の古典によるクリティークの精神の陶冶・育成と、イマジネイションの力の養い・学びという本質的な点に、参加者と一緒に直面することを余儀なくされる。実際この夏のセミナーでも、そこまで踏み込んだ方が、セッションはスリリングになるし、参加者の満足度も高いという感触をもった。もちろん飽くまで参加者が主役であり、その対話の邪魔にならない程度に禁欲してということは前提だ。しかし余りに禁欲し過ぎることは却ってセミナー全体の活力をそぎ、お行儀はよいけれども馴れ合いに堕する気がする。
 今後とも、アスペンに灯された人文知の、クリティークの精神とイマジネイションの力を養いつつ価値観を精査形成していく活動を、このような人文学不要論のかまびすしい時代にもかかわらず、否、そういう時代だからこそ、絶やさずに受け継ぎ、新しい時代に合わせて展開していきたいという思いや、切なるものがある。

(完)