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渋谷治美先生「『チボー家の人々』の思い出(2)」

2021年03月17日ヒューマニティ

 渋谷先生による、想い出の書籍「チボー家の人々」の紹介。前回のコラムでは、同書との出会いの契機は意外にも「反発心」ではなかったかと、渋谷先生は語られています。
 きっかけはともかく、その後、渋谷先生は何度かの頓挫の末、全5巻を読破され、それが後々の先生の人格形成に大きな影響を与えたと述懐されます。「チボー家の人々」は、主人公ジャックのBildungsroman(青年の人間形成物語)ですが、それを読んだ渋谷少年自身のBildungsromanをお楽しみください。

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 確かに当初は、中学時代に読み終えるつもりだった。それがそうはならず、その後三度足踏みをした。まず、中学時代は二巻を読み終えるにとどまった。事情としては、翌年の中三時代は友人からの影響で太宰治に浸っていたし、中三の大晦日から先はデイヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』に狂っていた、ということがある。そののち高校に進み、再度決意を改めて、また一巻から読み始めたのだが、その一巻だけであえなく頓挫した。そのあともう一度大学合格の知らせを受けて入学までの手持無沙汰を埋めるべく、三回目の挑戦をすることとした。高校二年の最後の三月である。けな気にもまた一巻から読み直して、初めて第三巻まで読み進めたのだが、四月に入ってサークル活動に忙しく、そこでまた停頓した。このような様を一歩前進二歩後退というのであろうか。

 さて大学二年の六月に大学闘争が勃発し、学生ストライキ(授業ボイコット)が始まった。そこで少し時間のゆとりができたのを機に、四回目の挑戦を思い立った。このとき、過去の挫折から教訓を汲んだ。要するに第一巻から改めて読み直す、というのは止めよう、ということだ。そもそも第一巻は三回も読んでいるから、それほど新鮮に読めるはずがないではないか。ということで、七月から十一月に掛けて、第四巻、第五巻を読んだのである。ともあれ、これにて全巻読破は成った。まるでエベレストに登るのに、前回登攣を断念して折り返してきた地点に、次の回はヘリコブターで直行し、そこから山頂を目指した、というやり方に似ている(こういう登山方法があるのかどうかは知らないが)。

 このような経緯をこまごまと書いたのは、一つはこれ自体が自分にとって懐かしい思い出であるという、読者を無視した勝手な動機も大きいが、この難産の体験が、そのあとの自分のさまざまな試練のさいに、途中で放棄することなく最後までやりきる、という点で大いに自信となって括かされてくれた、と一般化できると思ったからでもある。話を長編小説の読破に限っていっても、この体験のおかげでその後、例えば『イーリアス』『オデュッセイア』(これらは長編詩というべきだが)や『カラマーゾフの兄弟』『失われた時を求めて』『源氏物言』をはじめ、古今東西の名作を読みきることができたと思っている。

 さて本来ならばここからが本論なのだが、紙数も尽きかけているので、簡単にさせて頂く。――先の概要だけからも分かるように、この小説は典型的なBildungsroman(青年の人間形成物語)であり、かつ、格調の高い反戦小説である(これら二点でいうと、トマス・マンの『魔の山』 と双璧であろう)。振り返ってみると、この二つの観点は、その後の私の人間観、歴史観の確立にとって大きな礎となってくれた、ということが今回自覚された。また、登場人物の顔貌、風貌、仕草の癖などの入念な描写、ドイツ人かロシア人か、出身の階級はどういうものでそれがその人物の物の考え方や人柄にどう反映しているか、といった叙述がときに延々と続くところがあった。外国人のことなどとんと区別がつかない中学生にとっては、それらの描写に想像力を合わせるのがやや苦痛な箇所ではあった。だが、その後小説に限らず映画、音楽(オペラを含む)、絵画、戯曲などを鑑賞する際に、評価基準として、はたしてこの作品は「人間をどのように描いてくれているか」「人生畢竟の問い=《人間とは何か》への答えに近づくヒントを与えてくれるか」といった視点を無意識のうちにも抱いて接してきたが、その原点がこの小説体験であったと思われる。

 惜しくも昨年十月にお亡くなりになった今道友信先生は年来、本誌「アスペン・フェロー」に「交友録」と題して味わい深い随筆を連載なさっていたが、いわば絶筆となったNo.22とNo.23(前号)の「交友録」(九)と(十)で、少年時代に親友だった二人の友について触れておられる。それは、広島に移転したのち「原爆で殺されてしまった」クラシック音楽好きの友と、「学徒動員によって戦死」した詩才豊かな友についてであった。人間形成と反戦、思えばこの二点は、今道先生の遺言でもあったのではないか。もちろん昨年九月、今道先生に先立つこと一か月前にお亡くなりになった本間長世先生も、同じ思いでいらしたに違いない。

(完)